武家屋敷と松阪のまち 御城番屋敷・松坂城跡
- 名将・蒲生氏郷が築いた松阪のまち
- 蒲生氏郷は、城下の発展を見据え、四五百森(よいほのもり)と呼ばれる丘に城を築き、この地を「松坂」と命名した。確かにその高いセンスを感じることができるが、それ以上にスゴかったのは町づくりの達人でもあったことだ。
- 氏郷は参宮街道の両側に商店を並べるため、近江(日野)商人を招へいするなど松阪を本格的な商都にしようとしていた。
松阪に次々と豪商が生まれ、のちに「商人の町」と呼ばれるようになったのも、氏郷が町づくりの明確なプランを描いていたからこそだ。
松坂城跡で松阪の町を見下ろす。氏郷が想い描いたであろう未来の町がここにある。それだけで、なんだか胸が熱くなるのはおかしいだろうか。
- 武士のプライドと御城番屋敷
- 城跡をぐるりと散策したら、「御城番屋敷」(国指定重要文化財)へ下りていこう。ここは、城の警護を担った紀州藩士の組長屋で、なんとその子孫が住みながら保存している、全国でも珍しい“生ける武家屋敷”だ。しかも、ここにある歴史もまたドラマチック!
初代紀州藩主・徳川頼宣以来の直臣(藩主直属の家来)家系にあった藩士20名が、突然陪臣(家臣の家来)となるよう命じられた。つまり降格を突き付けられたわけだ。
生活か、武士のプライドか…悩んだ末に武士のプライドを取り、浪人の道へ。
- その6年の間、望みを捨てず嘆願を続けた結果、ついに直臣として帰藩することができ、松坂城の御城番としてこの地を守ったのだとか。
屋敷内には、この時の血判状が飾られている。その並々ならぬ想いが一文字ひともじに表れていたのかと(読めないけど)、目が離せなかったのを覚えている。志を貫き通し、やっとのことで帰藩できた紀州藩士たちの想いはいかほどか。きっと松坂城を命をかけて守ったのだろうなぁ。
- 大切にしたいという子孫の想い…
- 明治維新を迎え、身を持ち崩していく武士が多い中、彼らは苦労して勝ち取ったプライドとその象徴である武家屋敷を守っていくため、「苗秀社(びょうしゅうしゃ)」という会社を設立。団結して時代を乗り切った。
子孫の方々が今も大切に守りぬいているのも、ご先祖様の強い想いがあるからだろう。
- 住人のひとりが言う。
「正直、マンションに…という話もなかったわけではありません。維持管理も大変ですしね。ですがいろんな意見があった中で、残すということに想いが勝ったわけです。これまで先祖が大切に残してきたものを自分たちの代で壊してしまうことにも抵抗がありますしね。やはり他に代えられないものがありますから…」。
- 四季の彩りとともに歴史が刻まれる
- それにしても、この石畳に槇垣の続く長屋の風情の素敵なこと。
3月の梅、4月の桜、秋の紅葉、雨で濡れた石畳…どの季節、どの天気でもここは絵になる。
「ここにいると四季の美しさにハッとさせられるんです。本当に住むにはいいところよ。ここに来る人が“何度来てもここはいいわね”と言うんです。子孫としては、そうやって言われるのが何よりもうれしいんですよ」。
御城番屋敷が刻んでいく歴史や彩りをこれからも見守っていきたいものだ。
松坂城跡を中心に観光するなら松坂城跡→松阪市立歴史民俗資料館(国登録有形文化財)→御城番屋敷→同心町を散策するコースがおすすめです。風情あふれる松阪の町を歴史に触れながら歩いてみませんか。
また、松阪木綿を着て、ぶらり散策するのもオススメですよ(有料。事前予約要)。着付けはわずか3分で完了!洋服の上からでもOKです。
詳しくは、松阪駅観光情報センター(TEL 0598-23-7771)までお問い合せ下さい。