EXILE 橘ケンチさんと巡る御食つ国・三重。 伝統や自然を大切に作られる鰹節・塩・酒の魅力に迫る 宣伝
食材の宝庫、三重。県内各地で自然の恵みや伝統を大切に守り、営み続ける「かつおの天ぱく」「岩戸の塩工房」「元坂(げんさか)酒造」を、EXILE 橘ケンチさんが訪ねます。
橘ケンチさんプロフィール
EXILE及びEXILE THE SECONDのパフォーマー。2025年3月29日(土)福井公演を皮切りに『EXILE LIVE TOUR 2025 “WHAT IS EXILE”』を開催。俳優業や語学力を活かした番組出演に加えてライフワークとして日本酒の魅力を発信、食のフィールドや日本創生に対する知見も深めている。2023年SAKEの魅力を網羅した書籍『橘ケンチの日本酒最強バイブル』(宝島社)及び処女小説『パーマネント・ブルー』(文芸春秋)を上梓。また、企画原案に携わった日本酒マンガ『あらばしり』が2025年1月期読売テレビ・ドラマDiVEにてドラマ化された。2018年13代酒サムライ、2021年福井市食のPR大使、2023年LDH JAPANのSocial Innovation Officerに就任。
【EXILE mobile】https://m.ex-m.jp
御食つ国にて。豊かな恵みへの祈りと感謝
美しく豊かな海、山、川。
三重の自然が育んだ食材は、古代から現代にいたるまで人々の心を掴み続けてきました。
万葉集には「御食つ国(みけつくに) 志摩の海女ならし真熊野(まくまの)の小舟に乗りて 沖へ漕ぐ見ゆ」という大伴家持(おおとものやかもち)が詠んだ歌があります。
遥か昔から志摩地域は「御食つ国」、すなわち、皇室や朝廷に海産物など地域の特色ある食材を献上する地域として知られていました。
日別朝夕大御饌祭 神饌の模型(せんぐう館にて展示)
神様に捧げる神聖なお食事「神饌(しんせん)」からも、人々が大切にしてきた食の文化、精神が感じ取れます。
伊勢神宮 外宮では朝と夕の1日2回、神々に神饌をお供えする「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」が行われています。
私たちにとって食事は生きるために必須のもの。
神様にとっても、力を増すために欠かせないものとして、外宮のご鎮座から今日まで1500年にわたり神饌が供えられ続けてきました。
日別朝夕大御饌祭では、神宮神田で育てられた米のほか、水、塩、酒、鰹節、四季折々の野菜・果物、魚、海藻が神饌として供えられます。
時を超え、食にまつわる伝統文化が今も息づく三重の地。
自然の恵みや伝統を大切に守り続けるつくり手たちが、三重の各地にいます。
今回は橘ケンチさんとともに、鰹節づくり、塩づくり、酒づくりを営むそれぞれのつくり手たちを訪ねます。
「かつおの天ぱく」で学ぶ御食つ国の文化
志摩市大王町波切(なきり)にあり、100年以上の歴史を有する鰹節屋「かつおの天ぱく」。
かつおの天ぱくは、古式の製法「手火山(てびやま)製法」で鰹節を作り続けている、全国でも希少な鰹節屋です。
今回は実際に燻し作業などを行っている「いぶし小屋」を訪ね、5代目を継承する菊池季佐さんにお話を伺いました。
菊池さん 「かつおの天ぱくは私の曾祖父から始まった鰹節屋で、私の父が現在4代目を務めております。 ここ波切は鰹節の産地として歴史ある地域で、鰹節の原型となる『堅魚(かたうお)』を2000年以上も前から作っていた記録が残っています」
鰹節の原点
堅魚とは、魚を天日干ししたもの。 平城京の木簡には、堅魚が波切から奈良王朝に献上されていたと記述があり、さらに古事記の中でも「朝廷に堅魚が献上され、天子(天皇)が喜んで食した」と記されています。
腐敗を防ぐ目的で鰹を煮てから干したものは「煮堅魚(にかたうお)」といい、煮堅魚の煮出し汁を煎じ詰めて濃縮した液体は「堅魚煎汁(かつおのいろり)」といいます。
堅魚煎汁は、だしというよりは調味料の一種と考えられており、塩や酢と同様、上流階級しか味わえないものだったそう。
堅魚、煮堅魚、堅魚煎汁は鮑などと並んで、各地の産物を納めさせる調(税)として指定されていたそうです。
奈良時代、波切は「魚切里(なきり)」と呼ばれていました。
魚、すなわち鰹を切って加工する里として、鰹節づくりがこの地域において重要な産業とされていたことが分かります。
江戸時代中期になると燻しの工程をふまえる製造方法が取り入れられ、現在の鰹節と同等の物が製造されるようになりました。
鰹節の生産量も増え、庶民にも出回るようになって、鰹節が流行するように。
かつおの天ぱくで伝統的な製法として守られてきた「手火山製法」も、江戸時代中期に完成したものです。
手火山製法は、手で1本1本火加減を調節しながら1ヵ月燻したのち、繰り返しカビ付けをして発酵させる工程に5ヵ月もの時間を要するため、大変手間がかかります。
そうして出来上がったものが「本枯節」。
芳醇な香りが特徴の、高級料亭などで使用される最高級品の鰹節です。
そして、江戸時代においても波切地域の鰹節は注目されていたようです。
というのも、江戸時代の『諸国番附表』(相撲の番付表に見立てたランキング表)では、全国の鰹節の中でも「行司」すなわち審判役を当てられていたそう。
全国的に見ても、波切の鰹節は重要な位置づけにあったことが伺い知れます。
菊池さん 「3月に獲った鰹は、真夏の炎天下を乗り越え、9月に鰹節になります。この時期に私たちは出来上がった鰹節の中から一番良いものを選び、10月に伊勢神宮にて行われる神嘗祭(かんなめさい)にあわせ、神楽殿(かぐらでん)にご奉納しています」
伊勢神宮の年間1500回あるお祭りの中で最も重要とされる神嘗祭。
伊勢神宮ではその年に収穫された新穀とともに、海の幸、山の幸などの神饌を天照大御神にお供えします。
菊池さん 「神饌には神様を敬う気持ちと、『美味しいお食事を食べていただきたい』という気持ちが込められております。その精神が今の私たちのおもてなしの心に通じているのではないでしょうか」
学び、実際に味わう。
いぶし小屋見学の途中、試飲として鰹節と昆布の合わせ出汁をいただきました。
湯気と共に立ち上る豊かな鰹節の香り。口に含むと、コクと旨味が広がります。
菊池さんの説明の中に「私たち日本人は、何千年も昔から鰹のお出汁を摂取してきました。そのおかげで、長めの海外旅行に行くとうどんや味噌汁を欲してしまう、といったふうに、特有の旨味を欲するセンサーが備わったともいわれています」というお話しがありました。
お出汁をいただいたときに、じんわりと体にしみわたっていくような感覚は、センサーによるものなのかもしれません。
鰹節削り体験に挑戦する橘ケンチさん。
橘ケンチさん 「小さい頃、回すタイプの機械で鰹節を削った記憶が…久しぶりに削ります」
子ども時代を懐かしみながら鰹節を削っていきます。
カンナで削る場合コツがいるそうですが、橘ケンチさんは、かつおの天ぱくの従業員の方々が驚いてしまうほど上手な削りっぷりでした。
ここで、菊池さんに「神人共食(しんじんきょうしょく)」についてお話しいただきました。
菊池さん「神様にお供えした神饌は、神様への一方通行では終わりません。私達は神様のお食事を、お下がりとしていただくことを許されております。これは神様と人が共に食事をいただくという意味で『神人共食』といわれています。神人共食の儀式を経て、私たちは神様からご加護やお力をいただくという考え方が、何千年も昔からありました」
「神人共食の一番分かりやすい例がお神酒(みき)です」と、菊池さん。
菊池さん 「伊勢神宮においても、神楽殿でご祈祷を受けた後、最後にお神酒をいただきます。
このお神酒を飲んだ時に、神人共食の儀式が完成したということになります」
ここで、お神酒の疑似体験として、実際のお神酒のように、お酒をさかずきでいただきます。
お酒は、伊勢志摩サミットの乾杯酒となった三重県伊賀市の大田酒造が手がける「半蔵」です。
橘ケンチさん 「良い香り。そして、とても上品な味わいですね」
お酒を味わった後は、いよいよ鰹節をいただきます。
今朝削りたての鰹節を、土鍋で炊いたご飯とともにいただきます。
土鍋は伊賀焼のもの。
伊賀焼は、300万~400万年前に堆積した古琵琶湖層の土を使用した焼き物で、蓄熱・耐熱性に優れ、高い遠赤外線効果を発揮するのが特徴です。
土鍋でふっくらと炊きあがったご飯に、鰹節をたっぷりと。
最後にさっと醤油をかけて、味わいます。
おかかご飯に舌鼓を打つ橘ケンチさん。
お米の甘味、醤油の塩味と相まって、鰹節の旨味がより引き立ちます。
「美味しい...!」と感動し、もう一杯おかわり。
お箸が止まらなくなる美味しさでした。
伝統、自然の恵みをこれからも繋いでいく
波切の自然を活かした鰹節作りをこれからも守っていきたい、と菊池さんは話します。
菊池さん 「昔は、地域の各家庭で薪が使われていたため、ほどよい間伐が行われ、山の均衡が保たれていました。山の均衡が保たれることにより、ミネラル豊富な水が海へと流れ、鮑やサザエなどの海産物が育つ豊饒の海ができていたそうです。この地域では、何千年も昔から自然の循環を守り自然と共生しながらものづくりを行ってきたといわれています。しかし、時代の流れとともに薪を使用する人が減るにつれ、山が荒れるようになりました」
山が荒れると、海の恵みにまで悪影響が及ぶそうです。
菊池さん 「鰹節を燻すために、地域の里山にあるウバメガシの間伐材を薪にして使用することにより、山を再生させる取組を行っております」
「しかしながら、近年の自然環境の変化による影響には悩みが尽きないのが現状です」と、菊池さん。
菊池さん 「志摩地方の海女漁等も現状は非常に厳しいとのお声を伺っております。自然環境が回復するまでには多大な時間がかかるかと思いますが、自分たちでできる限り自然の循環を大切にしていくとともに、『なぜ伊勢志摩で鰹節なのか』『自分たちの原点はどこにあるのか』ということを伝える場所として、私たちかつおの天ぱくは、地域の食文化、御食つ国の食文化を守っていきたいと考えています」
かつおの天ぱく【鰹いぶし小屋見学】
080-2612-3801
5台(無料)
大型・中型バスは大王崎観光駐車場(有料)へお願いします。
問い合わせ0599-72-0007
近鉄鵜方駅→三交バス「大王崎灯台」下車徒歩約10分
近鉄鵜方駅より約20分
二見浦の海水から作る自然塩「岩戸の塩」
伊勢市二見町、神前海岸(こうざきかいがん)の海水のみを原料に、丁寧に煮詰め、焼き上げて作られる自然塩「岩戸の塩」。
日々、塩づくりが行われている岩戸の塩工房にて、代表 百木良太さんにお話を伺いました。
二見町にある神前海岸
二見について
二見は「禊(みそぎ)の地」として、伊勢神宮参拝前に人々が海で身を清めるため訪れる場所として、古くから知られてきました。
夫婦岩を望む二見興玉神社もあり、今なお多くの人が二見を訪れます。
また二見には、伊勢神宮のお供えやお清めに用いる塩を古式ゆかしい製法で作る「御塩浜(みしおはま)」があります。
その由緒は古く、今から2000年前の内宮ご鎮座当時、倭姫命(やまとひめのみこと)が御塩浜を定めたといわれています。
そして、御塩浜に隣接した場所には伊勢神宮125社のうちのひとつである御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)があり、御塩殿鎮守神(みしおどののまもりのかみ)が祀られています。
百木さん 「二見は古くから塩づくりの歴史が息づいている町です。いつから二見が塩づくりの町になったのか、その始まりははっきりとは分からないのですが、土地神である佐見都日女命(さみつひめのみこと)が、倭姫命に堅塩を献上したという伝承があり、そのことがきっかけで二見で塩づくりが盛んになったのではないかともいわれています」
昔ながらの製法と、自然の恵みにこだわって作られる岩戸の塩。
塩の原料となる海水は、栄養豊富な山の伏流水が流れる川と海が交わる、自然の砂浜が残された場所から汲み上げられます。
その後、薪をくべた鉄製の登り窯で15~20時間かけて海水を煮詰め、結晶化させたのちに、塩を焼き上げていきます。
百木さん 「自然が蓄えてくれた栄養バランスはとても素晴らしくて、それを越えるものを私たちは作ることができません。だからこそ、添加物は加えず、海水のみを煮詰めて焼き上げていきます」
結果、海水とほぼ同じ成分の含有量比で、ミネラル豊富な塩が出来上がります。
岩戸の塩工房 代表 百木良太さん
百木さん 「海水には、にがりの主成分である塩化マグネシウムも含まれていますが、焼き上げていくと、にがり特有の苦みはうま味へと変わっていきます」
岩戸の塩はまろやかな味わいで「まさに、海の栄養をいただいている」ような滋味(じみ)深さも感じられます。
百木さん 「お塩がないと、私たちは死んでしまいます。人が生きていくために必須とされるもの。私の感覚としては、お水や空気の存在と近いように思います。私たちの体にとって良いもので、体が欲しているからこそ『美味しい』と感じるのだと思います」
薪をくべた鉄製の三段の登り窯でじっくり丁寧に海水を煮詰め、焼き上げていく
岩戸の塩のはじまり
岩戸の塩のはじまりは1996年頃、岩戸館の大女将である百木さんのお母様が、体を壊した家族の体質改善のため、二見の海水から塩を作ったのがきっかけでした。
元々、塩は家族で使う分だけ作っており、その後、親せきやご近所にお裾分けをしたところ「体調が良くなった」などの評判をもらうようになったそう。 塩の成分を調べると、良質なミネラル分が豊富であることが分かりました。
この頃、塩は1905年から続く専売制によって自由に販売することができませんでした。
「この栄養豊富な塩を、世のために広めていきたい。けれど、専売制があるから販売することはできない...」
そう思った矢先に、92年間続いた塩の専売制が廃止されたのです。
そうした巡り合わせもあり、1997年に「岩戸の塩」が販売開始されることとなりました。
日々、海水の濃度や使用する薪の種類や状態、気候などの条件が異なるため、その時々の匂いや音などを頼りに、作業内容や時間を調整し塩を作り上げていくそうです。
「海水の水気を飛ばしていくだけ」と聞くと、とても単純なように思ってしまいますが、その日その時の海水の状態に問いかけ、丁寧に工程を調整していく職人の技があってこそ、岩戸の塩は美味しく完成するのです。
満ち潮を汲む
「お塩は神聖なものでもあります」と百木さん。
神聖なものだからこそ、海水は必ず満ち潮を汲み上げるのだそう。
なお伊勢神宮の塩づくりを行っている御塩浜でも、満ち潮が汲まれるそうです。
百木さん 「産まれるのが満ち潮、亡くなるのは引き潮というのはよく聞く話ではないでしょうか。潮の満ち引きが一番大きくなるのは大潮のときで、新月と満月の前後3~4日間です。私たちは、この大潮のタイミングに合わせて満ち潮を汲みます」
水蒸気が立ち込める工房の中、塩づくりの作業に見入る橘ケンチさん
汲み上げられた海水は、その後15~20時間ほど煮詰められていくのですが、1トンの海水からとれる塩はわずか20キロほど。
とても大変な作業ですが、「自然の循環の中では微々たること」と百木さんは話します。
百木さん「何トンの海水を汲み上げて、何十時間かけて煮て、といった私たちの作業は、自然の循環の中でみれば本当に微々たるものです。自然が蓄えてくれたものをいただいて、私たち自身が食べやすくなるよう少し手を加えているだけ。海水を煮て飛んでいった水は空へ戻り、雲となって雨が降り、山を通って海へと戻ったものをまたいただく。そう考えると、塩づくりは大きな循環の中のほんの一部に過ぎません」
それゆえに「私たちが塩を作り出しているとは到底思っておりません」と百木さんは続けます。
百木さん「私たちがどれだけ知識や技術を身につけても、海がなければお塩一粒も作れません。そして、二見に塩づくりの歴史文化があったからこそ、岩戸の塩は誕生しました」
地域の自然と塩づくりの文化への感謝とともに「この地域だからこそできる塩づくりにこれからも取り組んでいきます」と百木さんは話してくださいました。
岩戸の塩工房
0596-65-7980
9:00~17:00
日曜日、月曜日
稲作、蛍。日本の原風景を重んじ、醸す「元坂酒造」
三重県多気郡大台町、1805年創業の歴史ある酒蔵「元坂酒造」へ。
今回、専務取締役であり次期7代目の元坂新平さんに案内をしていただきました。
大台町は、町の全域がユネスコエコパークに登録されている自然豊かな町。
町に流れる一級河川「宮川」は、国土交通省の水質調査で何度も「水質日本一」に選ばれています。
元坂酒造は宮川中流域の河岸段丘にあり、酒蔵の周辺には地形を利用した小規模な棚田があちこちに。
集落に広がる田園風景から、稲作文化が根付いた土地ということが分かります。
また元坂酒造は、主に三重県産の米を原料にした地元還元型の酒造りにこだわっており、さらに、原料米の自社栽培にも40年ほど前から取り組んでいます。
元坂酒造 専務取締役 元坂新平さん
元坂酒造の代表銘柄は「酒屋八兵衛」「KINO / 帰農」「KATARU HOTARU(語蛍)」など。
それぞれの銘柄は、地域の自然や特色を大切に造られています。
6代目であり代表取締役の元坂新さんが立ち上げた銘柄「酒屋八兵衛」は、「グラス一杯の煌めきよりも、一晩の安らぎを」がコンセプト。
そのコンセプトのとおり飲み飽きない味わいで、料理との相性も良く食中酒にピッタリ。
甘味や吟醸香は控えめで、常温で飲んでもキレ・バランスの良さが感じられます。
2016年の伊勢志摩サミット内ワーキングランチでは「酒屋八兵衛 伊勢錦山廃純米酒」が食中酒として提供されました。
元坂酒造では、酒米の王様「山田錦」のルーツともいわれる「伊勢錦」の自社栽培も行っています。
元坂酒造が復活させた伊勢錦
伊勢錦は1840年代に旧勢和村(現在の多気町)にて誕生した酒米です。
近畿地方を中心に使用されていましたが、戦時中の米不足や背が高く倒伏しやすいことから、だんだんと栽培されなくなり、戦後間もなく姿を消してしまいました。
その伊勢錦を復活させたのが元坂酒造です。
生産が途絶えてしまった伊勢錦の種籾(たねもみ)が三重農業試験場に保存されていることが分かったために、一握り譲り受けたものを3年をかけて増やし、1989年にようやくお酒として復活。
しかし、現在の主要な酒米は品種改良を経たことで栽培特性が整っている一方、ほとんど在来原種に近い伊勢錦は背が高く倒伏しやすいのが問題としてありました。
約20年間の試行錯誤を重ね、背の低い稲を選別固定することで、現在では契約農家も含めて約15トンの収穫量を確保できるまでにいたったそうです。
伊勢錦で醸す酒は繊細で奥行きがあり、熟成させると旨味が膨らんで穀物の様な香りをまとうそう。
伊勢錦は「酒屋八兵衛」名柄の一部商品のほか、2021年にリリースした銘柄「KINO / 帰農」でも使用されています。
KINO / 帰農
「KINO / 帰農」のコンセプトは、「全ての産業は農に帰す」。
このコンセプトには「日本人は日本酒を造るために稲作をしてきたわけではなく、稲作があったからこそ、日本酒を造ることができるようになった」という、稲作文化に対するリスペクトが込められています。
元坂酒造のある柳原集落は、古くは伊勢神宮の神領地として集落をあげてお米を奉納していた由緒がありました。
しかし現在は、集落の少子高齢化により稲作をやめてしまう農家も増えてきたそう。
ご高齢の農家の田んぼを元坂酒造が引き継ぐこともあるそうですが、「田んぼがソーラーパネルなどに変わり、原風景が失われていってしまう」のを見かけるようになったと、元坂さんは話します。
「できる限り柳原集落ならではの原風景を残したい」という思いが、銘柄に「農」の文字を入れることの理由のひとつになったそうです。
KINO / 帰農のラベルは、あえて、精米歩合や製法などといったスペックの記載が必要最低限にとどめられています。
それには「飲み手にまっさらな気持ちで農業を想起してもらえるお酒を造りたい」という思いがこもっているそうです。
造り手と飲み手、それぞれの思いもまた農へと帰する。
KINO / 帰農は、造りにまつわるストーリーも含めてしっかりと味わいたくなるお酒です。
KATARU HOTARU(語蛍)
KATARU HOTARU(語蛍)は「宮川に蛍が来た年にだけ製造されるお酒」として、2024年にリリースされました。
語蛍という名前には「水の綺麗さ、豊かさを蛍が語る」という意味が込められているそうです。
語蛍は、ゲンジボタルが生息する宮川の水を仕込み水として使用しています。
ゲンジボタルが生息するためには極めて良い水質が要求されますが、宮川の水は、高い酸素融解度を誇ることから自浄作用が高く、不純物の少ない、透明度の高い水として評価を受けています。
元坂さん 「日本酒造りにおいて、日本酒そのものやお米は私たちの手で作ることができますが、大切な自然資源である水は作ることができません。語蛍というお酒を通じて水の有難みを再定義し、未来に残していければと考えています」
語蛍のラベルには「蛍を観測した日」がイニシャライズされています。
元坂さん 「2023年6月7日に私たちが実際に蛍を観測して、語蛍を造ろうと決めました。その年の冬に酒を仕込み、年をまたいで2024年の6月に発売することができました」
なお、2024年6月も蛍を観測することができたため、2年目のシーズンも語蛍の製造が行われているそうです。
橘ケンチさん 「ファーストタッチがとても滑らか。みずみずしさを感じる綺麗な味わいですね」
元坂さん 「童謡『ほたるこい』の中に『こっちの水は甘いぞ』という歌詞があります。蛍が好む甘い水って、どんな味なんだろう?というのが、語蛍の味わいのテーマです」
まさに「水の良さが感じられる」風味で、一口飲むと、清らかな宮川へと思いを馳せたくなります。
元坂さん「僕が子供の頃は、探す必要がないと思う程、この宮川に蛍がたくさんいました。ですが、年々減っていっているのを実感します。語蛍の酒造りを通じて、最終的には探しに行かなくても当たり前に蛍が見られる光景を実現できればと思っています」
今回は、三重県内で鰹節づくり、塩づくり、酒づくりを行う人々の元を訪ねました。
それぞれの取り組みと語り口で伝統文化や自然の恵みに向き合う真摯な姿が、深く印象に残る取材となりました。
元坂酒造
【公式URL】https://www.gensaka.com/
* 一般の蔵見学は不可
「橘ケンチさんが三重の食を巡るガストロノミーツアー」として、その他記事も公開中。
以下のリンクより是非ご覧ください。
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