語り部と行く伊賀上野城。日本100名城に選ばれた白亜の城の歴史を詳しくご紹介します。
掲載日:2019.06.28
三重県伊賀市上野にある日本100名城の1つ「伊賀上野城」。日本100名城に選ばれたこの城は、白亜三層の端麗な姿で白鳳城ともよばれています。そんな伊賀上野城の歴史や文化を、語り部さんに解説・案内していただきました。
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三重県伊賀市上野丸之内にある『伊賀上野城』。
伊賀上野城の現在の天守閣は、伊賀地域の文化と産業の振興拠点として川崎克(かわさきかつ)代議士が私財を投じて昭和10年に完成させた昭和の木造模擬天守で、正式名を「伊賀文化産業城」と言う、複合式天守の梯郭式平山城(ていかくしきひらやまじろ)です。
白亜三層の端麗な姿で白鳳城(はくほうじょう)とも呼ばれ、日本100名城にも選ばれています。
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目指す伊賀上野城は、2019年2月に「忍者市駅」と命名された伊賀鉄道伊賀線上野市駅から徒歩10分のところ。
ということで、『銀河鉄道999』でおなじみの松本零士先生デザインの忍者列車でいざ忍者市駅へ。
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忍者市駅にはあちらこちらに忍の者が潜んでいます。
伊賀上野市出身の松尾芭蕉の銅像や、忍者列車をデザインした松本零士先生直筆のサインが入った鉄郎とメーテルのブロンズ像も。
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伊賀上野城へは駅から地下道を通って行くのですが、今回は語り部さんをお願いしたので、待ち合わせ場所の『だんじり会館』に向かいます。
語り部さんとは、伊賀上野の文化や歴史について、低廉な料金で解説しながら案内をしてくれる「観光ボランティア いがうえの語り部の会」の方々。
伊賀上野城だけでなく、コースによっては忍者や松尾芭蕉などについても解説していただけるので、歴史や文化に興味がある方は語り部さんにガイドをお願いするのがおススメ。
語り部さんから様々なお話を聞くのを楽しみに、いざだんじり会館へ。
だんじり会館では忍者衣装に変身が出来たり、屋根の上を歩いているようなトリック写真が撮れる撮影スポットが有ります。(詳しくはだんじり会館「忍者変身処」へ)
だんじり会館
0595-24-4400
・大人:600円(500円)
・小人:400円(300円)
※( )内は、30名以上の団体料金
9:00~17:00
4月第2第3の土日のいずれか1日
上野天神祭期間中
12月29日〜1月1日
あり(有料)
伊賀鉄道「上野市駅」から徒歩約5分
・名阪国道「上野東IC」から北へ約5分
・名阪国道「中瀬IC」から西へ約5分
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駅から一番近い入り口は上野公園観光案内所があるところなのですが、語り部さんと合流した我々一向は、だんじり会館から徒歩約5分、西側の石畳の公園入口へ向かいます。
そこから少し上ると「史跡 上野城跡」の石碑と伊賀上野城に関する説明石碑がありました。
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伊賀上野城は上野盆地のほぼ中央にある上野台地北部の標高184mほどの丘陵の上に築かれている平山城です。ほかのお城と比べると、天守閣までは比較的のんびりとお散歩を楽しめる雰囲気ではないでしょうか。
この場所はもともと城が建てられていたわけでなく、上野山平楽寺という平清盛が造営したと伝えられる真言宗の古刹があったそうです。
中世の伊賀は寺社の勢力が強い土地で、国主はいても力なく、豪族ら伊賀衆の寄り合いで治められていました。
しかし、1581年(天正9年)に天下布武を目指した織田信長による伊賀攻めで、伊賀の国はほぼ全滅。このとき、平楽寺も破壊され焼き尽くされてしまったと言われています。
(この頃の歴史ストーリーは、嵐の大野くんが主演した映画『忍びの国』でも描かれていましたね。)
この天正伊賀の乱の際に、戦国武将である滝川雄利(たきがわ かつとし)は伊賀の豪族に策略をめぐらせ結束力を弱めて勝利に貢献し、平楽寺の跡に砦を築き伊賀上野城の基礎を築いたとのこと。
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織田信長亡き後に天下統一を目指した豊臣秀吉は、大阪城を中心とした大名配置を行います。
そのときに初代藩主となったのが、大和郡山の領主であった筒井定次(つついさだつぐ)。1585年(天正13年)に伊賀に入国した筒井定次が現在の本丸広場の東側に大坂を守るための城を新しく築きました。
それが伊賀上野城の始まりです。筒井定次は、古くから開けた北側を中心に城下町としました。
しかし、筒井定次は上野城藩主に長く留まることはできませんでした。
1600年(慶長5年)の天下分け目の関ヶ原の戦いで徳川家康側である東軍に味方し、徳川家康から伊賀の所領を安堵されていましたが、お家騒動を起こし改易となり、後に切腹となってしまいます。
※安堵・・・古代末期から近世にかけて日本の土地私有制度において、主君が家臣に対して所領知行(土地権利)や所職の存在・継続・移転などを保証・承認する行為。(Wikipediaより)
※改易・・・江戸時代に侍に科した罰で、身分を平民に落とし、家禄・屋敷を没収するもの。(Wikipediaより)
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そこで徳川家康は 伊予今治の藤堂高虎(とうどうたかとら)を伊賀・伊勢両国の領主とし、西方の大坂城の豊臣方との決戦に備え伊賀上野城を改築させます。
築城の名手として名高い藤堂高虎は、平和な時の居城は安濃津城、非常事態の時の居城はこの伊賀上野城と考えて城の大改修をおこないました。
自然の地盤を利用して濠を深くし、石垣も高く設計し、高さ約30mの高石垣を巡らせ、5層の天守閣を計画。また、城下町を南側へ移動させ、完全に武装した軍備の町へと伊賀上野城を変化させていきました。
ところが1612年(慶長17年)に、建設した天守閣が大暴風で完成寸前に倒壊。
その後、大坂の陣で徳川家康の東軍の勝利となり、大阪の豊臣氏は滅亡。
堅固な城が必要なくなったため天守が再建されなかったものの藤堂氏は筒井氏の城跡に城代屋敷を置き、伊賀一国を治めました。
また、明治6年(1873)の「廃城令」により、石垣の上に築かれていた構造物の多くが取り壊されてしまいました。
現在の天守閣は、1935(昭和10)年に伊賀出身の代議士・川崎克(かわさき かつ)が、” 攻防作戦の城は亡びることもあるが、産業の城は人類生活のあらん限り不滅 ” の信念のもと、私財と支援者の協力を得ながら復興した木造建築による模擬天守なんです。
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天守閣に登る前に藤堂高虎らしさが残るスポット『高石垣』をのぞいてみましょう。
もう1人の築城の名手・加藤清正の石垣に見られる「扇の勾配」に比べ、藤堂高虎の石垣は直線的な姿をしています。
今でこそ大阪城の高石垣と一二を争う高さですが、築城当時は他に例のない桁外れの高さでした。
危険の注意を喚起する結界が置かれていますが、端まで行ってみると吸い込まれそうです。写真撮影に夢中になりすぎて落ちないように要注意!
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中央部の石垣より両サイドの石垣が少し前に出ているのがわかるでしょうか?
これは、侵入者に対して側面から攻撃をする横矢かがりのために作られた場所です。
こんな高石垣、忍者でも登れないのではないだろうかと思ってしまいますが、そこは非常事態の時の為の城。念には念を入れての設計だったのでしょう。
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こちらは高石垣を下から見上げた写真。
高さ約30m=マンションだと10階建てくらいになります。
見上げる高さですね。
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それではいよいよ天守閣に登ってみましょう。
藤堂高虎公が築いた天守台に、美しい白壁の大天守と小天守が建てられています。
戦国時代のお城では無いため、天守台ギリギリから天守がそびえ立っているのではなく、外壁と回廊があるのも伊賀上野城の特徴かもしれません。
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大天守と小天守の間の薬医門から入城し、左の小天守へ。
小天守の中に「忍びの井戸」という井戸が残されています。
この井戸は、家康が「大阪城の攻略が失敗した場合、私は高虎とこの城に籠城する覚悟だから、3年籠城できる城をつくれ」と藤堂高虎に密命を下した際、敵による水脈の断絶対策として90mの深さの井戸を掘り、さらに井戸側から横へ三カ所のトンネルを掘って抜け穴としたと言われています。
また、城が落城した場合は、忍者をこの通路を利用して城内に潜入させて攪乱することも考えたとも言われているため、「忍びの井戸」と呼ばれています。
実際に手を当ててみると、かすかに風が吹き上がってくるのを感じられますので、本当に抜け道があるのかもしれません。
昔の人の技術はすごいですね・・・。
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また、「忍びの井戸」の横には藤堂高虎が造ろうとした5層の天守と現在の天守のペーパークラフトが並べて展示されています。
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大天守に入ると、藤堂高虎公とマスコットキャラクターの「た伊賀ーくん」がお出迎え。
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太い柱に飛びついた黒装束の忍者も。
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模擬天守1Fには、伊賀の伝統産業で中世から始まったといわれる日本有数の古陶、伊賀焼が。
古い時代のものから最近の作家さんの作品まで、様々な伊賀焼が展示されています。
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また、藤堂氏にまつわる逸品も展示されています。
こちらは有名な「変わり兜」の1つ、高虎公が太閤秀吉より拝領したという「黒漆塗唐冠形兜(くろうるしぬり とうかんなり かぶと)」。
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試し打ちに使われたと言う甲冑。くっきりと弾の後が残っています。
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藤堂家の家紋「藤堂蔦」。語り部さん曰く、代によって微妙に家紋が違っているとのこと。
家紋の入った品も多数展示されていますので、違いを見比べながら見てみるのも楽しいかもしれません。
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2階には日本100名城の写真、藤堂家の調度品や藩主の書画などを展示。
また、現在の天守復興の功労者、川崎克に関する資料も展示されています
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最上階の3階からは見晴らしがよく伊賀の街を一望できます。藤堂高虎もこんな景色を切望していたのでしょう。
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天守最上階でもうひとつ注目したいのが、格天井の色紙絵。
現在の天守閣の完成を祝って当時の著名人から寄贈されたもの。
画家・横山大観の「満月」、そのとなりには私財を投じた川崎克(号・克堂)の鷹の絵をはじめ、政界人や文化人による46点もの色紙絵がはめ込まれています。
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登りづらいようにわざと段差や幅に違いをつけてある石階段を下って、芭蕉生誕300年を記念して1942年に建造された俳聖殿(はいせいでん)に向かいます。
これは天守閣を建てた川崎克氏により建てられたもの。
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俳聖殿入口にあたる門。かやぶき屋根が趣がありますね。
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この俳聖殿は、2008年3月19日に三重県の有形文化財に、2010年12月24日には国の重要文化財に指定されました。
松尾芭蕉の旅姿を模して造られているそうです。二層の丸い屋根は旅笠、俳聖殿の木額が顔、一層の八角形屋根は蓑や衣装、堂は脚部、回廊の柱は杖と足を表現しているとのこと。
語り部さんと回っていなければ、気づきませんでした・・・。
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俳聖殿内には伊賀焼で作られた実物大の芭蕉翁が鎮座しています。台座もすべて伊賀焼とのことです。
また、毎年行われる「芭蕉翁献詠俳句」の歴代の入選者の名前が飾られた木版が大切にしまわれています。
芭蕉の命日の10月12日の芭蕉祭の時に公開され、中に入ることができます。
俳聖殿
0595-43-2315
無料
フリー
なし
有料(上野公園周辺の駐車場をご利用ください)
・伊賀鉄道「上野市駅」から徒歩で約10分
・名阪国道「上野東IC」から北へ約10分
・名阪国道「中瀬IC」から西へ約10分
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少し坂を下って芭蕉翁記念館へ。
この記念館は昭和34年(1959)神部滿之助(かんべまんのすけ)氏の篤志寄付により建てられたそうです。
芭蕉直筆の「たび人と 我名よばれむ 初しぐら」の色紙や遺言状のほか、連歌や俳諧に関する資料が展示されています。
また年4回、様々なテーマで企画展も行っています。芭蕉の命日が10月12日ということもあり、秋には特別企画展が行われます。
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芭蕉の衣装を着て俳人気分を味わえますよ。
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上野市駅前に建立された芭蕉銅像の原型。大西徹山(おおにしてつざん)作。
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芭蕉の紀行図。それぞれの旅ルートポイントが光るようになっています。
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庭では季節のお花も楽しめます。
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芭蕉翁記念館の入り口のところで、語り部さんが面白い木を教えてくださいました。
多羅葉(たらよう)。ハガキの原型となったといわれています。
葉の裏に木の枝など少し硬いもので傷をつけると、跡が浮かび上がってきます。時間がたつほどに濃くなり、はっきりしてきます。
昔、紙などなかなか手に入らなかった時代、経を写すのにも使ったといわれており、この木があることが、この地に昔お寺があった証拠ではないかともいわれているそうです。
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こちらは、無患子(むくろじ)の木の実。
写真左側の外皮を向くと右側のような黒いものが出てきます。これが、羽子板の羽の黒い部分に使われます。
剥いた外側は洗剤として使われていたということです。
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こちらは、泰山木(たいさんぼく)。
6月から7月に咲くモクレン科で、とても良い香りがするお花を咲かせます。日本の樹木の花としては最大の大きさで、花径は50センチから60センチくらいだそうです。
芭蕉翁記念館
0595-21-2219
大人300円(200)、高・中・小100円(60)障害者割引入館料:無料
※20名以上は団体割引となります。( )内は20名以上の団体割引料金
8:30~17:00(入館受付16:30まで)
年末年始(12月29日~1月3日)※展示替のため臨時休館することがあります。
有
伊賀鉄道上野市駅から徒歩5分
名阪国道上野東ICから北へ5分又は中瀬ICから西へ5分
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時代によって積み方が違う石垣や、日本1・2位の高さを誇る高石垣をはじめ天守内に展示されている様々な品は歴史好きには必見のスポット。
また、昭和の時代に作られながら木造で作られた天守は、日本建築の素晴らしさを感じることが出来ます。
自然好きの方には、春には桜・秋には紅葉、また泰山木のような珍しい植物を季節によって楽しめますよ。
公園入り口にある観光案内所でマップをもらって、時間を気にせず一人でのんびり廻るのもよし、語り部さんが歴史・自然・松尾芭蕉の3つのテーマからその方の好みに合わせて見所をガイドしてくれますので、伊賀上野の歴史と自然を満喫したい方は、語り部さんのお話を聞きながら廻ってみるのもオススメです。
ひと味違う伊賀上野城を楽しむことができますよ。
※カルチャーボランティアガイド『いがうえの語り部の会』へのお申込みは伊賀上野観光協会オフィシャルサイトから
伊賀上野城
0595-21-3148
大人600円(500円)
小人300円(250円)
( )内は、30名以上の団体料金
9:00~17:00(入館は16:45まで)
年末(12月29日~12月31日)
周辺に約500台あり(有料)
・伊賀鉄道「上野市駅」から徒歩約8分
・名阪国道「上野東IC」から車で北へ約10分
・名阪国道「中瀬IC」から車で西へ約10分