極上の休息を。三重県

伊賀

自然豊かな里山
伊賀のものづくり精神

伊賀酒、伊賀焼。
ものづくりが根ざす土地。

心安らぐ里山風景が広がる伊賀。
伊賀では豊かな自然を活かす形で古くから様々なものづくりが営まれており、今も伊賀焼の窯元や伊賀酒の蔵元などがあちこちに。
先祖代々、伊賀の自然や文化を愛し尊んできた造り手たちに話を伺い、そのクラフトマンシップに触れてみた。

目次

1.酒処として恵まれた
伊賀の自然環境

肥沃な土壌、盆地特有の寒暖差で育つ品質の良い酒米や、山から流れる良質な伏流水、冬の厳しい寒さなど、伊賀には酒造りに適した環境が整っている。

伊賀ではこれまでに、木屋正酒造の「而今」や若戎酒造の「義左衛門」、大田酒造の「半蔵」、森喜酒造の「るみ子の酒」など、数々の銘酒が生み出されてきた。
伊賀の豊かな自然環境に根差す蔵元たちにより醸される日本酒は、そのどれもが色とりどりに魅力的で、惹き付けられる味わいだ。

2.江戸時代創業
歴史ある蔵元「若戎酒造」

ここからは嘉永6年(1853年)創業の「若戎酒造」を通じて、伊賀の日本酒 “伊賀酒” の魅力や、造り手たちの思いについて深堀していく。

酒処として歴史ある伊賀の中でも、古い歴史を持つ酒蔵のひとつである若戎酒蔵。京・大和と伊勢を結ぶ初瀬街道の宿場町として栄えた伊賀・青山阿保の地で、宿屋を営んでいた重藤 義左衛門氏により若戎酒造は創業された。
創業以来、長きにわたり高品質の酒を作り続けてきた若戎酒造にて、現在代表を務める8代目蔵元・重藤邦子さんに話を伺った。

若戎酒造のロングセラー銘柄「義左衛門」シリーズ。伊賀で育てられた「三重山田錦」を酒米として用いたものもある。

伊賀の地で感じる
“すとん” と胸に落ちる味わい

「伊賀酒と一口にいっても、原料である酒米や酵母、酒蔵ごとの造りによって、味わいは個性豊かなものとなります。それゆえに伊賀酒同士で飲み比べる楽しさがあります。また、それぞれに個性がある中で、伊賀の美味しい水のおかげなのか、全体的に旨味や優しい味わいが感じられるお酒が多いように思います」と、重藤邦子さんは話す。

また、伊賀酒の味わいは、伊賀の地を訪れることでより深まるという。
「伊賀を訪れた際は、この土地の豊かな水や土壌で育った野菜、伊賀牛などの『伊賀ならではの食材』を、伊賀酒と共に味わってみて欲しいですね。すると、何となく『ほっとする』というか、『すとんと落ちる』感覚があるんです」と重藤邦子さん。
実際に伊賀の自然豊かな風景の中に身を置いてみて、土地の恵みを受けた食材や酒を味わい、全身で「伊賀ならでは」を感じてみる。
そんな “五感で感じる” 伊賀の旅に、伊賀酒は一役を買ってくれそうだ。

味わいへのさらなる探求

若戎酒造5代目・重藤久一氏は、酒米の王様と呼ばれる「山田錦」の三重県内での栽培を復活させるため、地元農家に働きかけ、県内では20年ぶりに山田錦の栽培を成功させた。品質の良い日本酒造りのため、酒米の栽培にも尽力する若戎酒造のものづくりへの情熱は、代々今日まで受け継がれてきている。

「精米歩合」にも、若戎酒造のものづくりへのこだわりが詰まっている。
日本酒は酒米を精米して造られており、精米歩合の高い日本酒は米本来に近い香りや、雑味のない味わいが楽しめる。しかしその一方で、精米歩合を上げるためには高度な技術やコストが必要となる。

全国の清酒の平均精米歩合は64.0%(平成28年度)という中で、若戎酒造の精米歩合の平均は58%と全国平均よりも高い。さらに大吟醸や純米吟醸の精米歩合は50%以下と規定されているなか、若戎酒造の大吟醸用は35%とひときわ磨かれており、かなり手間もコストもかかっていることが分かる。
手間やコストをかけてでも、若戎酒造ではより良い味わいを追究するために、酒造りのタイミングに合わせ、丁寧に全量自社精米を行っているそうだ。

酒米は、酒の種類ごとに、酒造りのタイミングに合わせ、状態を見ながら丁寧に精米される

「切り返し」作業の様子。米の状態を手触りや機械で細かく確認しながら進められていく。

「若戎酒造は、地元・伊賀や三重のものを、酒造りに大切に取り入れてきました」と、重藤邦子さんは話す。
現在、若戎酒造で使用している酒米は、伊賀産山田錦のほか、三重県オリジナルの酒米「神の穂」など、地元産のものが中心となっている。

また、酵母は先代までが使用していた多種多様な自社酵母のほか、三重県独自に開発されたオリジナルの酵母5種を新たに使用。複数種類の酵母それぞれの香りや味わいが引き立つよう時間差でブレンドするなど、技術が凝らされている。

「いま三重県内では、酵母の扱いや酒造りに関するアドバイスであったり、蔵を超えて情報交換が盛んに行われているんです。『三重県のお酒』 として、お互い研鑽しあいながら、皆で良い日本酒造りを目指せているように思います」と、重藤邦子さん。互いを想い皆で正々堂々と競技に取り組むスポーツマンシップのように、三重県の蔵元には素晴らしいクラフトマンシップが根付いているようだ。

地元で愛されるからこそ
広く魅力を伝えたい

「ここ伊賀市青山のあたりで造られた日本酒は、もともと地元でほとんど消費されていました。現在、日本全国や海外など幅広く流通していますが、今なお地元の方々にも愛飲いただいています」と重藤邦子さん。
“地元で愛され続けている地酒” と聞くと、その魅力がより伝わってくる。

若戎酒造はSNSやYouTubeでの情報発信、全国でのイベント出展などに加え、伊賀の地で同じく酒蔵を営む「森喜酒造」「大田酒造」の女性蔵元らとタッグを組み、ほろよいで楽しく味わう「伊賀酒de女子会」イベントを開催するなど、伊賀酒の魅力発信に努めている。

「忍者のまちの気質なのか『良いものを隠したがる』風土があるかもしれません。もともと地元で消費されていたものを広く発信するとなるとパワーがいりますが、やれることからどんどんやっていこうと奮闘しています」
丹精込めて作った伊賀酒を、情熱と自信を持って発信するその姿からは、造り手ならではの溢れんばかりの伊賀酒愛を感じられた。

歴史ある伊賀焼窯元・長谷園の土鍋・かまどさん。遠赤外線効果で美味しいごはんがいただけて、食卓で囲みたくなるデザインも魅力的。伊賀焼は人々の暮らしを豊かにしてくれる。

3.千二百年の歴史を有する伊賀焼

伊賀焼の始まりは今から1,200年前。天平年間(729~749年)に、農民が農業用の種壺や生活雑器を焼いていたことがその起こりとされている。茶の湯が洗練された室町時代には、伊賀では水指や花生が焼かれ、桃山時代になり侘び茶が大成されると、伊賀焼の持つ風情を千利休ら茶人が好み、大名間で献上品として利用されるなど珍重された。

寛文9年(1669年)伊賀陶土の濫掘を防ぐ「御留山の制」により一時伊賀焼は衰退したものの、その後の領主により作陶が奨励され再興を遂げた際、伊賀焼はこれまでの茶の湯の道具にかわり、土鍋や行平など日常の生活道具となる器作りが主流となっていった。

「長谷園」は江戸時代に開窯以降、様々な食器や雑器のほか、土鍋・行平など、庶民の暮らしに役立つ焼き物を作り続けている

先祖代々、伝統と技術を継承
“伊賀焼窯元「長谷園」”

天保3年(1832年)伊賀市丸柱にて創業した伊賀焼の窯元「長谷園(ながたにえん)」。
長谷園が開窯したのは、伊賀焼が茶の湯の道具から、庶民の日常の生活道具へと転換されていった時代にあたる。
また、江戸の町を中心に始まった、小さな鍋で食事をする「小鍋立」の流行時期とも開窯時期が重なることから、長谷園では当初より土鍋など、良質な伊賀陶土を活かし耐火性に優れた生活道具を作っていたとされている。

開窯以来の歴史を継承しつつ、時代を見据え、現代の暮らしに役立つものづくりを続けてきた長谷園。
ここからは、長谷園8代目当主の長谷康弘さんに、伊賀焼の魅力や作り手の思いについて伺っていく。

長谷園8代目当主・長谷康弘さんは、伊賀焼の伝統と技術を継承しつつ、時代と共に変化するライフスタイルに沿ったものづくりに専念している。

古琵琶湖層が生み出す
良質な伊賀の土

「伊賀焼はちっぽけな産地ではありますが、耐火性・蓄熱性に優れた古琵琶湖層の土など、どこの産地にも引けを取らない素晴らしい特徴を持っています」と長谷康弘さん。

約400万年前、かつて琵琶湖は伊賀の位置にあり、もともと琵琶湖であった所が隆起して伊賀になったといわれている。
生物や植物の化石が多く含まれる古琵琶湖層の地層から産出される土は、高温で焼成すると化石の部分が燃え尽き、細かな気孔ができる。細かな穴が無数に空いた「多気孔」な生地は急騰・急冷しないものとなり、土鍋にすると、ゆっくりと食材の旨味と甘味を引き出してくれる効果が生まれるそうだ。

伊賀の陶土は蓄熱性にも優れている。
「使ってみるとわかるのですが “土が勝手にやってくれる” ような感覚。食材や調味料をすべて土鍋に入れ、沸騰したら火を消し、あとは余熱だけで美味しい料理が完成します」と長谷康弘さんは話す。
また、陶器の遠赤外線効果によって食材の芯から熱が伝わるため、比較的短時間で、炭火焼で調理した様なふっくらとした柔らかさを楽しむことが出来るのも魅力だ。

季節や天気によって変化する土の硬さに対応し精緻に作り上げるため、機械だけでなく、手作業を加えて土鍋づくりが行われている。

生活を彩る伊賀焼

長谷康弘さんは「人々のライフスタイルが変わっていく中で、それに合わせたもの作りを続けてきました」と話す。
「いつでも根っこにあるのは、伊賀には美味しい食材が沢山あって、それをいかにして『美味しく調理して食べれらるかな』という、食いしん坊からの発想です」

そして、長谷園が生み出す伊賀焼の数々には、単に調理する「道具」としてだけでなく、食卓で囲み「彩りを添えてくれる器」としての魅力もある。
「伊賀焼の歴史には、生活道具としての歴史と、茶の湯の道具としての歴史がありました。茶の湯の精神であるもてなしの心が受け継がれているようにも思います」

古くから紡がれてきた精神性が脈々と受け継がれ、今の私たちの生活に彩りを添えてくれる。伊賀焼の奥深さ、魅力をさらに感じることが出来た。

長谷園には数々の伊賀焼が並ぶ本店や散策エリア、体験もできる工房などがある

丹念な「作り手」「使い手」
としての探求

長谷園には「作り手は真の使い手であれ」という社是がある。
「作り手のエゴで作品が出来上がるのではなく、使い手になりきって、それが喜んでもらえるかどうか、そこが出発点だと思います」と長谷康弘さんは話す。

長谷園内の工房で黙々と作陶をするのは、作陶家として長い経歴を持ち、長谷園に35年ほど前から在籍している川上正志さん。川上さんの手により長谷園の数々の試作品が生み出され、製品化へと至っているそうだ。

何度も何度も試作を重ね、ようやく人々の手にわたる伊賀焼たち。
長谷康弘さん「使って美味しかった、食卓で囲んで楽しかったというお客様の声を聞くのが、伊賀焼の作り手としての喜びです」
作陶をしている川上さんのまなざしも、使い手の喜ぶ顔を浮かべてか、キラキラと輝いているようにみえた。

美しい原風景とともに

「ここ伊賀市丸柱には伊賀焼の窯元や陶芸作家が数多く集まっているので、焼き物巡りが楽しめます。それに加えて、この美しいロケーションも含めた旅を堪能していただきたいんです」と長谷康弘さん。

「心安らぐ風景を眺めながら、伊賀の水や土、寒暖差が育んだ美味しい食べ物を味わう。そこに伊賀焼が彩を添えてくれる。そんな豊かな経験を楽しんでみてください」
ほっとするような、愛おしくなるような原風景が、伊賀にはある。

最後に、「食も、文化も、伊賀には魅力が沢山ある。私たちは伊賀の魅力を、ものづくりを通じてこれからも伝えていきたいと思っています」と長谷康弘さんは笑顔で話してくださった。

伊賀のものづくり精神に
触れる感動

自然豊かな伊賀にて、代々、誇りや情熱を持ってものづくりに挑んできた人々の想いを聞き、作られたものを実際に手にしてみる。
すると、作られたもの達からは、ものづくりをする人々の伊賀の自然や文化への深い愛のほか、手に取る人に喜んでもらえるようにと込められた暖かい願いも感じ取れるようだった。

住所などの情報

【若戎酒造株式会社】
〒518-0226 三重県伊賀市阿保1317
[TEL]0595-52-1153

【長谷園 伊賀本店】
〒518-1325 三重県伊賀市丸柱569
[TEL]0595-44-1511

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