極上の休息を。三重県

伊勢志摩

常若の伊勢神宮
再生し未来へ紡ぐ

伊勢神宮の在り方にみる持続可能性

2,000年の歴史を有する「日本人の心のふるさと」伊勢神宮。古くからお伊勢参りが流行するなど、人々の憧れの地とされ続けてきた。
20年のサイクルで伊勢神宮の社殿や神宝を新調し神々をお遷しする行事「式年遷宮」は古くから続いており、その度に伊勢神宮は若々しい姿へと再生を繰り返してきた。式年遷宮によって伊勢神宮は永遠性を保ち、その傍ら、旧社殿の材木は様々な場所でリユースされることから、式年遷宮は時代を先駆けたサステナブル文化ともいえる。
今回は伊勢神宮や、伊勢神宮の精神が浸透する伊勢志摩地域において大切にされてきたサステナビリティについて学んでいく。

目次

1.一生に一度はお伊勢参り。
人々の憧れの地「伊勢神宮」

伊勢神宮、正式名称を「神宮」。
神宮は「皇大神宮(内宮)」と「豊受大神宮(外宮)」を始めとし、伊勢市とその周辺に鎮座する14所の別宮、43所の摂社、24所の末社、42所の所管社を合わせた計125の宮社すべての総称である。

伊勢神宮の歴史は深く、連綿と続いてきた。
天照大御神を祀る内宮は約2,000年の歴史があり、天照大御神の食事を司る豊受大御神を祀る外宮は約1,500年の歴史を有している。

江戸時代には「一生に一度はお伊勢参り」とうたわれ、伊勢神宮参拝が一大ブームとなった。かつてのピーク時である文政13年(1830年)には、半年未満の間に内宮・外宮合わせて460万人が訪れたという記録もあり、その多さに驚く。近年も多くの人が訪れており、令和元年(2019年)に972万人超、コロナ禍で一時大幅に減少したものの令和4年(2022年)には600万人超の年間参拝者数を記録。今なお人々が憧れ、訪れている地ということが分かる。

外宮の正宮と古殿地。遷宮は、現在の社殿に隣り合う、同じ広さの敷地(古殿地)へと行われる

伊勢神宮は常若に、
「式年遷宮」で再生を繰り返す

式年遷宮は、20年に一度、社殿や神々に捧げる装飾品や調度品をすべて新しくして、新たな社殿に神々をお遷しする行事。式年遷宮が始まったのは690年で、戦国時代を除き1,300年繰り返されてきた。

式年遷宮では内宮・外宮をはじめ、14所の別宮や、内宮への入り口となる宇治橋なども造り替えられる。計9年の歳月をかけて33の神事と行事が行われる大規模なもの。

中でも社殿の造営は1,300年もの間、20年に一度同じ建物を建立するという他に類を見ない仕組みが続いている。
そのためには、再現性の高い技術の伝承が不可欠。式年遷宮には多くの技能者が携わるというが、その中の一部の技能者は、次回の式年遷宮においても次世代に技術を引き継ぐ中核として携わっている。20年に一度という造営の繰り返しを経て、世代を超えた技術の伝承も行われてきた。

伊勢神宮は式年遷宮に伴う20年のサイクルで、「常若(とこわか)」すなわち、常に若々しく美しい姿が保たれ続けてきた。常若なる姿には古き伝統や技術が込められており、「古くて新しい」社殿が、現代まで大切に守られ続けてきたのだ。
次の式年遷宮は令和15年(2033年)を予定されており、令和7年(2025年)からいよいよ、遷宮に関わる様々な行事が始まる。

内宮への入口、五十鈴川にかかる宇治橋。日常の世界と神聖な世界を結ぶ架け橋といわれている

2.式年遷宮とともに行われる
木のリユース

式年遷宮にて新たな社殿に神々が遷った後は、旧社殿が解体される。この解体された建造物たちには、また新たな場所で活躍の場が与えられるそうだ。

神宮に縁のある神社や、被災した神社の社殿として、一度解体したものを再度組み立てて使われる例や、全国の神社に古材が配られる例もある。
また内宮及び外宮の正殿の棟持柱は、宇治橋の外側と内側の鳥居に用いられ、さらに20年後には、三重県桑名市の「七里の渡跡」や亀山市「関の追分」の鳥居へと移築されていく。

社殿が新造されることで伊勢神宮は永遠性を保持し、その傍ら、解体された用材はできる限りリユースされていく。古代より続けられてきた式年遷宮にみる永遠性、持続性は、時代を先駆けた「サステナブル文化」ともいえるだろう。

また、令和15年(2033年)に控える式年遷宮に際し、新たな宇治橋を渡り始める「宇治橋渡始式」が令和11年(2029年)に予定されている。伊勢神宮が更新されていく様子を間近に感じられる、貴重な機会がもうすぐ巡ってくる。

神領民により続けられてきた
伝統行事「お木曳」

伊勢神宮の門前町として栄えた神都・伊勢。
伊勢に住む人々は古くから「神領民」と呼ばれ、伊勢神宮やその伝統・文化に対し様々な関わりを持ってきた。
その関係性を表すものの一つとして、式年遷宮の際に社殿などの造営に使う御用材を神域に運び込む「お木曳」行事が挙げられる。

お木曳は式年遷宮の中で町衆が参加できる数少ない行事のひとつで、神領民たちの誇りとなっている。
近年は「特別神領民」として全国からお木曳の参加者を募っており、全国を挙げての行事へと発展していった。

遷宮当年の6年前と7年前の2ヶ年に渡ってお木曳は行われており、次は令和8年(2026年)を予定している。
内宮では五十鈴川を利用した「川曳」、外宮では陸路を利用した「陸曳」が行われる。
神領民たちが揃いの法被を身にまとい、「エンヤ、エンヤ」と掛け声を響かせながら大きな御用材を運ぶ様は、伊勢の町をより活気づけるに違いない。

(提供)神宮司庁

美し国・伊勢の豊かな
自然のサイクル

『日本書紀』で伊勢は「美し国」と称されている。
倭姫命が天照大御神を祀る場所を探し求め、諸国を巡りたどり着いたのが伊勢の地であった。「美し」という言葉には、麗しい・好ましいという意味があり、風光明媚で自然豊かな伊勢に魅力を感じ、創建の地が決められたともいわれている。

倭姫命は清らかな五十鈴川のほとりに内宮を創建した。
この五十鈴川は、倭姫命が御裳のすその汚れを濯いだという伝説から「御裳濯川」とも呼ばれており、内宮参拝者が手を清める御手洗場ともなっている。

五十鈴川を流れる清らかな水は、私たちに豊かな自然のサイクルを意識させてくれる。天から降り注いだ雨が山でろ過され、川へと巡る。そしてやがて海へ流れ込み、また天へと昇っていくのだ。

「美し」には旨いという意味もある。
伊勢志摩の自然は、海の幸・山の幸を豊かに育んでくれる。伊勢神宮においても、五十鈴川の水を用いて稲・野菜・果物を育て、二見浦で塩を作るなど、伊勢志摩の自然の恵みを自給自足で調達し、日々、神饌(神様の食事)としてお供えしている。

皇室の大御祖神である天照大御神を祀る皇大神宮(内宮)

3.「獲りすぎない」を
大切にする海女の文化。
地域に息づくサステナビリティ

伊勢神宮では、20年に1度の式年遷宮だけでなく、1年の間で恒例の行事が約1,500回、古式のまま行われ続けている。
その行事の中でも重要とされているのが10月に執り行われる「神嘗祭」だ。その年に収穫されたお米(新穀)を最初に天照大御神にささげ、恵みに感謝する行事で、年間でもっとも多くの神饌がお供えされる。

その神饌の一つに、鳥羽市で海女が獲る鮑がある。
神嘗祭など伊勢神宮の行事では、熨斗鮑として鳥羽市国崎町に位置する「神宮御料鰒調製所」にて調製された鮑がお供えされる。

海女文化においても、古くからある地域独自のサステナブル文化がみられる。
今回は、熨斗鮑を調製する国崎町の隣町であり、三重県内で最も多くの海女が暮らす相差町の海女小屋『相差かまど』にて、現役海女さんの話を伺った。

「私たち海女は代々、限りある海産物を『獲りすぎない』ようにして、豊かな海の恵みとともに私たちの暮らしが続くよう守ってきました」
海女たちは共同体の中で10.6センチより小さいアワビは取らないと決め、潜水する時間は1時間から1時間30分と定めている。「口開け制度」といって、時期や天候、潮などによって操業日数、操業時間の制限を行っているそうだ。

海女たちは魔除け「セーマン ドーマン」を必ず身に着ける。海女たちの自然への畏敬の念が感じられる風習

海女文化は現在、エシカル消費の意識が強い欧米の人々からも注目を集めている。海女小屋は、伊勢志摩の海の幸を味わえるだけでなく、海女たちの暮らしとともに地域に独自に根付く文化や、自然と暮らすサステナブルな生活も学べる場所として高い評価を得ているのだ。

海女の起源は縄文時代にまでさかのぼる。江戸時代には浮世絵の題材にもなり、古くから独自の文化が着目されてきた。しかし現在、海女の数は大幅に減少。なり手不足のほか、海の環境変化による漁獲高の減少が大きな要因になっているという。

「昔は1回1時間30分の漁の間に、1人の海女で10キロ獲れるくらい鮑が豊富にありましたが、今は2・3個の時もあり、目に見えて獲れる量が減っています」と海女さんは話す。

現在、鳥羽・志摩の海女漁は、国の重要無形民俗文化財にもなっている。貴重な海女文化に触れ、変化していく海の資源環境を知るためにも、是非、海女小屋へと足を運んでみてほしい。

古くから浸透する
サステナブル文化

伊勢神宮で古くから繰り返されてきた式年遷宮や、神事、それらのお祭りを取り巻く地域の文化・風習を含め、伊勢志摩にはサステナブル文化が浸透している。神事・伝統・文化などを知ることで、私たちが今大切にすべきこと、豊かな未来へのヒントを得ることが出来そうだ。

住所などの情報

【皇大神宮(内宮)】
〒516-0023 三重県伊勢市宇治館町1
[TEL]0596-24-1111

【豊受大神宮(外宮)】
〒516-0042 三重県伊勢市豊川町279
[TEL]0596-24-1111

【海女小屋『相差かまど』】
〒517-0032 三重県鳥羽市相差前の浜
[TEL]0599-33-7453(相差海女文化資料館)

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