知的好奇心くすぐる。「本居宣長ゆかりのモデルコース」を浅田政志さんが行く
「古事記伝」で有名な国学者・本居宣長が生まれ育った松阪には、直筆の古事記伝や旧宅など、貴重な資料やゆかりのスポットが沢山残されています。今回は、本居宣長を愛してやまない写真家・浅田政志さんがモデルコースを歩いて楽しみます!本居宣長をあまり知らない方でも楽しく巡れて、案内人たちのちょっとマニアなセンスが光るワクワク旅へ、いざ出発!
こちらのメインビジュアルは浅田政志さんが撮影したもの。
(写真家 浅田政志さんプロフィールはこちらから!)
本居宣長が生涯の大半を過ごした旧宅「鈴屋(すずのや)」にて、「宣長さんもこうして書物を読んだのかな」と本を手に取る浅田さん。
本居宣長が過ごした江戸中期、おそらく日中は自然の光だけで過ごしていたのではないでしょうか。庭から差し込む光が幻想的ですね。
本居宣長ってどんな人?「本居宣長記念館」で知ろう
「本居宣長記念館」は松坂城跡内にある博物館。
本居宣長自身が執筆した本や、遺品、ゆかりの品々などが約16,000点収蔵されています。
そもそも本居宣長とは、どんな人物だったのでしょうか?少しまとめてみました。
本居宣長とは
・松阪が生んだ江戸期を代表する国学者
・35年かけて完成させた著作『古事記伝』が有名。古事記の注釈書で、国学者の研究成果として最高峰のものとされている
・1801年に72歳で亡くなるまで、松阪にて町医者をしながら『古事記伝』以外にも『源氏物語の玉の小櫛』『玉勝間』など数多くの著作を生み出し、日本古典研究の基礎を築いた
17歳、宣長少年が日本を精緻に描き上げた
今回は本居宣長記念館の中を、学芸員の井田さんが案内してくださいます。
こちらは『大日本天下四海画図』です。17歳の少年だった宣長が一人で描きあげた日本地図ですね。
17歳で描いたという所が本当に凄い。そして、大きい!
大きいですよね。こちら実寸サイズで展示していて、縦約1.2m、横約1.9mあります。20枚ほどの小さな紙を貼り合わせて大きな紙を作って描いたそうですよ。
宣長はこの地図を、全て自宅で描き上げました。推定ではありますが、様々な書物や、人から聞いた話などを参考に完成させたとも考えられています。
つまり、測量は行っていないということですよね。それなのに、かなり正確に描かれている。日本地図の制作者といえば伊能忠敬がよく知られているけど…
伊能忠敬らが測量をして日本地図を作るのは、本居宣長の『大日本天下四海画図』作成から70年ほど後になります。
そうなんだ!宣長さんは、まだ正確な地図が世に出回っていない状況で、精緻な地図を描き上げたんですね。
『大日本天下四海画図』には、3,019の地名、254の城主名などがびっしりと書き込まれています。
なかには「韓唐」や「羅列国」など架空の地名も一部含まれていますが、それにしても、とにかく細かく描かれいてることに圧倒されるばかり。
本居宣長の情報収集力、知識量、知的探求心がよくわかるものとなっています。
学芸員の井田さんから、宣長が『大日本天下四海画図』を描くまでのエピソードを教えていただきました。
『大日本天下四海画図』を描くまで
本居宣長は松阪木綿商の家に生まれます。もともと宣長の両親には養子がいましたが、「どうしても自分の子供が欲しい」と願っており、ようやく授かったのが宣長でした。
一家は宣長に、商家の息子として期待をかけます。一方の宣長自身は本を読むことがとにかく好きで、勉強以外のことにはなかなか身が入らない子でした。そんな宣長は16歳の時、商売の修業のために江戸に向かうのですが、思うようにいかず、1年も経たないうちに松阪に帰郷することになってしまいます。
「うまくいかなかった」ということで、失意の中とも捉えられる状況なのですが、宣長は帰郷後たった1ヵ月でこの『大日本天下四海画図』をほぼ完成させてしまいます。
おお…。
この地図の中には「流布する地図の誤りを正す」という自信に満ちた言葉が書き込まれているんですね。宣長の国学者としての出発点ともいいますか、「日本というものがどういうところなのかを明らかにしたい」ということに強く関心を持っていたことが伺えます。
宣長直筆の『古事記伝』
『古事記伝』は、本居宣長が35歳頃から35年をかけて執筆した『古事記』の注釈書です。
また、単なる『古事記』の注釈書にとどまらず、のちの古代文学や古代史の研究にも大きな影響を与えたことから、現在も価値の高い研究書とされています。
本居宣長記念館では宣長直筆の古事記伝を展示しています。
え?!直筆?!!印刷本かと思った...。こんなに綺麗に残ってるんだ。
ここまで良い状態で残されているのは、宣長の子孫の方や、宣長にゆかりのある方々が大切に保管してくださっていたからですね...。本当に印刷本みたいですよね。
物の状態も良いし、綺麗に書かれた字も凄い。手書きとは思えない!
宣長は「読みやすさ」にかなりこだわって書いたそうです。行間や字数がきちっと決めてあって、「かすれ」や「にじみ」もありません。
あまりにも美しく整えられた字なので、「本当に手書き…?」と、思わずじっと見てしまいますね。
本居宣長記念館では、常に本居宣長直筆の古事記伝を見ることができるそう。
また、全44巻ある古事記伝を、巻やページを変えながら展示しているそうなので、行く度に違うページが見られる可能性も!
「今回はこの巻が見れた!」とちょっとマニアックな楽しみ方も出来ちゃいますね。
古事記の注釈書というのは、「古事記を読めるようにした本」と考えていただくと分かりやすいかもしれません。皆さん、どこかで日本の神話に触れる機会があると思うのですが、そういった神話は、もともと古事記に書かれているものがほとんどです。
なるほど。
つまり日本に暮らす多くの方が、ほぼ必ず宣長の業績に触れたことがある、ということになります。
確かに!
本居宣長は国学の偉人であるとともに、現代の私たちにとって身近な存在でもあるようです。
「残す」ことを大切にした宣長
こちらは『本居宣長六十一歳自画自賛像』です。
「自画自賛」というのは、自分で描いた絵に自分で「賛」(絵画に書き込む詩や文章)を書くという意味。
宣長は自分の姿を絵に描きつつ、絵だけでは知ることの出来ない心の部分を歌として書き込むことで、後世に自分のことを伝えようと考えたとされています。
「賛」として書き込まれているのは、本居宣長の残した歌の中でもっとも有名な「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」という歌です。
意味としては「もし私の日本人としての心を問われたなら、朝日に照り輝く満開の山桜に感動する心と答えたい」というもの。
本居宣長は、この賛にもあるように、桜をこよなく愛したことでも知られています。
宣長は「自分は外からどう見られたいのか」という点を強く意識していた人でした。読みやすさにこだわった本を出版したり、自画自賛像を残すことなども、自己プロデュース的な視点のもと行われていたようです。
こちらの絵で着ている黒い衣も、プロデュースの一環と取れます。こちら実物もあるのですが、単に真っ黒な布ではなく、透かしの模様が入ったもので、裾には柄が入っています。「座ったときに綺麗に見えるように」と自分でデザインをして、作ってもらったと言われています。正式な講義の場や、お殿様の前に行くときはこの衣を着て正装代わりにしていたそうですよ。
井田さんから、この衣にまつわる小話を教えていただきました。
ちなみにこちらの衣の着丈を計算すると、宣長の身長は170cmほどあったのではないかと言われています。
僕も同じ!身長が一緒ってだけでも光栄だなあ…。
写真もない時代だから、描いて残すことが重要だったんですね。古事記の研究など時代をまたぐような仕事をしているから、先を見据えて「残す」ことに意識を向けることが出来たのかな。
そうですね。かなり長いスパンで物事を考えていたと思います。作品を残すことで、後の世代の人たちが自分の作品を知り、どんどん批判もされて、さらに新たな良いアイデアが生まれていくのが良い事だと考えていました。
宣長は自分自身が過去から学んだように、将来多くの人々が宣長の作品を学び、発展させていくことを望んでいたのですね。
本居宣長が愛した「鈴」グッズをゲットしよう
本居宣長は桜のほか、鈴も大好き。
自宅の書斎の柱に鈴(柱掛鈴)をかけ、勉強に疲れた際や、研究が進まなくなった際に鈴を鳴らし、その音で気分をリフレッシュさせて勉強や研究に打ち込んだそうです。
宣長は鈴の音を「さやさや」と表現しました。なんとも読み心地のよい表現ですね。
写真は、島根県の浜田12代藩主の松平康定が、宣長に送った「駅鈴(えきれい)」を模したもの。本居宣長記念館のショップコーナーにて販売されています!
本居宣長記念館のショップでは、鈴グッズの他、本居宣長の関連書籍も多数取り揃えられているため、「本居宣長についてもっと知りたい!」と思った方も、是非立ち寄ってみてください。
書籍の中でも、歴史漫画「鈴せんせい」の限定復刻版は要チェック!本居宣長記念館書籍部門のベストセラーだそうです。
各種グッズは本居宣長記念館オンラインショップでもお買い求め可能です。
(オンラインショップはこちらから)
浅田さんも鈴を購入!
かつて弟子たちが宣長に贈ったそれぞれ7つの鈴「七種鈴(七古鈴)」を模した、鈴のセットです。
七種鈴、買えてうれしい~!素敵な音色に惹かれました。実は…柱掛鈴はもう持っていて(笑)考えに行き詰まったときや気分転換したい時に鳴らしてます♪
本居宣長記念館を発つ前に、入口にあった顔はめパネルで記念撮影。
「宣長さんの自画自賛像の表情、こんな感じかな?」と、キリリと真剣な表情で写る浅田さん。
モデルコース1か所目を存分に楽しみきって、次のスポットへと向かいます!
※本居宣長記念館アクセス情報は次の鈴屋の紹介部分に掲載しています
本居宣長の旧宅「鈴屋(すずのや)」
松坂城跡内には本居宣長の旧宅「鈴屋(すずのや)」があり、中を見学することが出来ます。
鈴屋はもともと松阪市の魚町にあったのですが、保存・公開のために、現在の場所に移築されました。
宣長が、12歳から亡くなる72歳まで住んでいた鈴屋。
宣長は7人家族で、妻と5人の子供がいました。
昼間は医者として薬箱を持って家々をまわり、帰宅後は、町の人や全国からの来訪者に『源氏物語』や『万葉集』など古典の講義を行っていました。夜が更け皆が帰った後は、一人で『古事記』を解読し『古事記伝』を書いていたそうです。
私たちが今いる「奥の間」で歌会や講義が開かれていました。講義の際は宣長が一方的に話をするだけではなく、宣長が知らないことを聴講者から教えてもらう場面もあったようで、聴講者リストのような書物の中にメモが残されています。
宣長の学ぶことへの興味関心の深さがうかがえるエピソードですね。
宣長は53歳になり、『古事記伝』の執筆も半ばを過ぎた頃、2階の物置を改築して茶室風の書斎を作ります。
書斎に鈴が掛かっていたことから、宣長の邸宅は「鈴屋」と呼ばれるようになりました。
(見学の際、2階の書斎にあがることは出来ませんが、外から書斎が見えるようになっています)
居心地の良い空間で、ついゆっくり過ごしたくなります。
実際に半日ほど滞在して楽しむ方もいるそうですよ。
アクセス情報
↓鈴屋は、本居宣長記念館併設施設です
本居宣長記念館
0598-21-0312
大人 400円(団体料金300円)
大学生等 300円(団体料金200円)
小人(小学校4年生〜高校生)200円(団体料金100円)
※本居宣長記念館・本居宣長旧宅「鈴屋」共通
※ 団体割引有り(団体は30名以上で100円引き)
※ 障害者手帳をお持ちの方は無料です。
受付で障害者手帳をお見せください。
介護者の方は2名まで入館無料です。
ミライロID ご利用いただけます。
9:00~17:00(最終入館時間は16:30)
月曜日(祝日のときは翌日)・年末年始
本居宣長記念館敷地内専用駐車場あり
または、松阪市駐車場をご利用ください(徒歩5分)
JR・近鉄松阪駅から、
・三重交通バス「松阪中央病院行き」または「嬉野一志行き」で約5分「市役所前」または「市民病院前」下車・徒歩で約5分
・鈴の音バス 「市街地循環線」で約5分「市役所前」または「市民病院」下車・徒歩で約5分
伊勢自動車道「松阪IC」から車で約10分
美しい風景とともに和歌に浸る「本居宣長歌碑」
こちらは松坂城跡内にあり、昭和34年(1959年)に建てられた歌碑。
本居宣長の6世孫にあたる本居弥生さんの筆によって、宣長の「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」の歌が刻まれています。
歌碑の周辺は四季折々、美しい景色が楽しめます。
今回モデルコースを巡った11月下旬頃はイチョウが色づいていました。春には藤が咲くそうですよ。
宣長の弟子の子孫が守る「本居宣⾧ノ宮」
「本居宣⾧ノ宮」は鈴屋や歌碑から徒歩4分ほどの距離にある、本居宣長を祀る神社です。
もとは本居宣長の個人の墓である山室山奥墓(やまむろやまおくつき)の隣に創立され、山室山神社と称されました。
本居宣長大人(うし)を学業の神様として祀っており、学業成就・合格祈願の絵馬が人気です。
(神社では敬意を表して名前の後に「大人(うし)」を付けます)
宮司の植松有麻呂さんにお話を伺いました。
山室山奥墓に「植松有信」という人の歌碑があるのですが、この方は宣長の弟子で、私の先祖です。
そうなんですか!
植松有信は、宣長のもとに入門した後、宣長の講義に同行して、松阪や和歌山にも行ったそうです。宣長が亡くなった後は、山室山奥墓で8日間寝泊まりをしてお墓の番をしたという話も伝わっています。
本居宣長を祀っていることに加え、弟子の子孫が守る神社と聞くと、ご利益がさらに増すように感じられますね。
本居宣⾧ノ宮を参拝した際は、御朱印もいただきましょう。(初穂料300円)
宣⾧が愛した桜や鈴の印とともに、「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」の歌が記されています。
このほか境内には、駅鈴の石像なども飾られています。
是非ゆっくりと巡ってみてください。
アクセス情報
本居宣長ノ宮
0598-21-6566
有
JR・近鉄松阪駅から
・三重交通バス「松阪中央病院行き」または「嬉野一志行き」で約5分「市役所前」または「市民病院前」下車・徒歩で約5分
・鈴の音バス 「市街地循環線」で約5分「市役所前」または「市民病院」下車・徒歩で約5分
伊勢自動車道「松阪IC」から車で約15分
ここで歴史が動いた!「新上屋跡」
続いて訪れたのは史跡「新上屋跡」です。
ここからは、松阪を拠点に活動する地域特化型クリエイティブチーム「vacant」(合同会社馬鹿鳴都)の中瀬さんが案内をしてくださいます。
地元愛が詰め込まれた「松阪偏愛マップ」などを発行するvacant中瀬さんの視点も織り交ぜながら、モデルコース巡り後半戦スタート!
ここ新上屋跡は、江戸時代中期に活躍した国学者・賀茂真淵(かものまぶち)と宣長が出会った地。
二人の出会いのエピソードについてご紹介します。
「松坂の一夜」真淵と宣長の出会い
宝暦13年(1763年)、松阪にある旅籠「新上屋」で、本居宣長(34歳)と賀茂真淵(67歳)が初めて対面することになります。
古典研究の第一人者・賀茂真淵は、京都から伊勢参宮の途中、新上屋に数日滞在します。
真淵に憧れを抱いていた宣長。
宣長は新上屋の近所の本屋から、真淵が新上屋に泊まったことを聞きますが、それは既に出立してしまった後のことでした。
宣長は残念に思い、帰りにも新上屋に泊まることを期待して待ちます。
すると望みが叶い、ついに宣長が真淵と対面!その後、手紙のやりとりと通じて、宣長は研究を深めていくことになります。
新上屋での出会いが、国学の歴史を動かす新たな始まりとなったのです。
この日のことは「松坂の一夜」と呼ばれています。
僕たちは宣長さんの、良い意味でクレイジーな部分にスポットライトを当てて、松阪のまち巡りをより楽しんでもらえればと思っています。
と、切り出した中瀬さん。
これは僕の解釈ですけど...宣長さん、真淵さんのこと好きすぎてストーカーになってるやん!って。
確かに!笑
泊ってたよ~とか、帰りも来るよ~とか、個人情報入手して。初対面なのに泊ってる宿に押し掛けるという…けれど、それだけ好きで追っかけてたのに、実は破門されているんです。
えー!!
大好きな人なのに、バチバチしながら意見交換するから、勢い余って破門という所まで行ってしまう。2人とも、学問に対する向き合い方が本当にストイックですよね。
宣長と真淵の意外(だけど、なんだか納得も出来る)一面。想像が膨らんでワクワクしてきますね。
和フレンチ「新上屋」でランチ
新上屋跡に建つビル・カリヨンプラザ内には、現在、和フレンチ「新上屋」があります。
本居宣長巡りの合間に「新上屋」でランチはいかがでしょうか?
アクセス情報
【名称】新上屋
【住所】三重県松阪市日野町788 カリヨンプラザ2階
【TEL】0598-67-8406(問合せ・予約)
【営業時間】LUNCH 11:30〜15:00(13:30Lo)DINNER 17:30〜22:00(19:30Lo)
【定休日】日曜日 月火水はlunchのみ営業
町のいたるところに本居宣長スポット!
ランチでお腹を満たした後は、再び町へ繰り出しましょう。
松阪には、町のいたるところに本居宣長スポットがあります!
浅田さんがカメラを向けているのは、電話ボックス(らしきもの)に入った宣長さん。何やら書をしたためています。
(伊勢街道沿い、日野町の交差点と中町の交差点の間にあるので、是非見つけて写真を撮ってみてください♪)
てくてく歩き進んで、ふと足元を見ると、駅鈴が描かれたマンホールを発見!
歩く際は、たまーに足元もチェックしてみてくださいね。
松阪駅(JR側)の駅前ロータリー公園には、どーんと大きな駅鈴が鎮座。
また、松阪駅(近鉄側)のすぐ前には「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」の歌が刻まれた歌碑が設置されています。
点在する本居宣長ポイントを探しながら町歩きするのも楽しいですね。
老舗和菓子店「柳屋奉善」の本居宣長ゆかりの銘菓
「柳屋奉善」は天正3年(1575年)滋賀県 日野町にて創業した老舗和菓子屋さんです。
天正16年、武将・蒲生氏郷が松坂城を築く際、蒲生氏の御用菓子司として仕えた柳屋奉善も豊臣秀吉の命によって、松阪に居を移すこととなりました。
創業時に作られた菓子「老伴(おいのとも)」は今なお多くの人に愛される銘菓です。
柳屋奉善では、宣長ゆかりの銘菓「宣長飴」と「鈴もなか」を販売しています。
「宣長飴」は、漢方医でもあった宣長が調合した「あめぐすり」をベースにした飴菓子。(13個入り税込297円)
桂皮末(シナモン)の香りと、生姜のピリリとしたスパイス感、素朴な甘さが癖になる味わいです。
「鈴もなか」は、4種の鈴形に、それぞれ青海苔入りの餡や小豆入りの白餡を入れた最中菓子。(8個入り税込 1,674円)
コロンとした鈴のデザインがかわいらしいですね。
アクセス情報
柳屋奉善 老伴
0598-21-0138
9:00~18:00
火、水曜
松阪駅から徒歩約7分
松阪インターチェンジから約15分
マニアックに楽しめる「本居宣⾧宅跡」
かつて「鈴屋」が建っていた魚町の「本居宣⾧宅跡」は、現在、国特別史跡に指定され保存されています。
宣長が愛したとされる庭の松や、長男の春庭が住んでいた家と土蔵が残されており、当時の情景を思い浮かべることが出来ます。
移築された「鈴屋」と、この「本居宣⾧宅跡」はセットで国特別史跡として指定されています。別々の場所にある同じものが、セットで国特別史跡に指定されるというのは、珍しいことだそうです。メジャーなのは松坂城跡にある鈴屋。一方の「本居宣⾧宅跡」は、あまり人が来ないようなのですが、こちらも楽しめるポイントがあるので是非来てもらいたいですね。
まず面白いのが、国特別史跡で“特別”な場所なのに、日中はずっと開放されてて出入り自由!というところ。このオープン具合が、松阪らしくて好きです。笑
9:00~16:30の間は常に開放されているそう(夜間は安全管理のために入口の柵に施錠がされます。柵が閉まった状態でも外から眺めることは可能)。日中、いつでもさらっと入れるからこそ感じる「身近さ」は魅力の一つですね。
そもそも「鈴屋」と「本居宣⾧宅跡」が残っているのは、明治天皇が「お金を払うから本居宣長の旧宅を保存して」と命を打ったからです。明治天皇の命に対して、豪商のまち・松阪を代表する三井家や小津家など、当時の豪商たちもこぞってお金を出して、移築や保存が実現したそうです。
明治天皇や、かつての豪商たちのお陰で、国学の礎が築かれることになった貴重な場所を今も見ることが出来ているのですね。
さっき話した通り、めちゃくちゃオープンなので、残っている旧宅の基礎部分にも触ることが出来ますよ。
嬉しい!では早速…
宣長の旧宅の基礎を堪能する浅田さん。
ここで宣長さんは古事記の研究をされていたんですよね。聖地に来れて本当に嬉しい...。
ちょっとマニアックな楽しみ方も出来る、貴重な「本居宣⾧宅跡」。皆さんも是非訪れてみてくださいね。
アクセス情報
本居宣長宅跡
0598-53-4397
・JR・近鉄「松阪駅」から徒歩で約15分
・伊勢自動車道「松阪IC」から東へ車で約15分
「豪商のまち松阪 観光交流センター」でお土産を買おう♪
本居宣長巡りの最後は、お土産を買って〆ましょう!
本居宣⾧宅跡から徒歩2分の距離にある「豪商のまち松阪 観光交流センター」には、宣⾧にちなんだお土産や、地元の名産品が多数取り揃えられています。
こちらは「宣長おかき」。
宣長が愛した山桜をイメージしたおかきのほか、黒豆入りやアオサ入り、わさび風味、梅肉ザラメなど、7種類の味が楽しめるおかきです。
(写真右:3袋入り税込325円/写真左:巾着付き9袋入り税込1,080円)
アクセス情報
豪商のまち松阪 観光交流センター
0598-25-6565
9:00~18:00(12月~2月/~17:00)
年末年始
近くに有料駐車場あり
近鉄・JR松阪駅よりバスで約5分
伊勢自動車道松阪ICより、約15分
本居宣長巡り、満喫してみてね!
浅田さんや各スポットの案内人と巡る「本居宣長ゆかりのモデルコース」はいかがでしたか?
魅力あふれる国学者・本居宣長。記事内でもいくつかエピソードをご紹介しましたが、実際にモデルコースを巡ってみると、さらに多くの驚きや発見に出会うことができます。
ぜひ、実際に楽しんでみてくださいね♪
2024年2月1日~4日「松阪の一夜」イベント開催!
「松阪ナイトミュージアム 松阪の一夜(ひとよ)」が、三重県松阪市にて2月1日(木)~4日(日)にかけて開催されます!
松阪市のシンボル「松坂城跡」の石垣へのプロジェクションマッピングでは、松阪との縁(ゆかり)が 深い東京日本橋で松阪商人が活躍した江戸時代の風景を再現。 「松坂城跡」「本居宣長記念館」「本居宣長旧宅(鈴屋)」「旧長谷川治郎兵衛家」「原田二郎旧宅」を中 心に夜の特別公開を目的とした松阪市では初となる「ナイトミュージアム」をぜひご堪能下さい。
さらなる詳細はこちらのリンクからご覧いただけます♪